ド底辺貧困までの道のり。外から見たら良い家庭。
我が家の崩壊と、裁判所での別れ
私は23で結婚して24で子供を授かったので(2000年)、人生を前倒し気味だった。
現代のように家事分担は当たり前ではなく、初めての出産からワンオペ育児家事で育児ノイローゼになってしまった。
当時読んでいたプレママ雑誌や新米ママ雑誌では、父親の育児参加は二極化していたように感じた。
妻ワンオペか、出産前から夫も積極参加か。勿論後者の方が推奨されていたが、実行できる人は限られていたと思う。
今ほど育児や介護の休暇制度の取得率が高くなく、そもそも夫の会社には育児休暇取得の前例がなかった。
産婦人科にもよるだろうが・・・
出産後、散々脅かされたものだ。
これをすると、またはこれをしないと赤ん坊は死ぬ!と、助産師さんや看護師さんからの指導の場で、事故事例をもとにやたらと脅かされた。
私も第一子出産の新米ママさん組で、真に受けてビビりまくった。
二子以降のベテランママさん達は勝手が解っているのでハイハイと聞き流していたが、新米組はどこいらへんまで真に受けていいものか見当がつかない。
ただでさえ初めての育児でナーバスになっているのに、無駄に不安を煽られた結果になった。
また、退院の時になって義実家の金銭トラブルに巻き込まれたこと、産前産後ともに夫が役に立たなかったことが後を引くことになる。
不安だらけのまま育児が始まり、二時間おきに授乳するのでまとまった睡眠もとれない。
夫はアテにならないどころか家事やその他の仕事を増やす上に、客まで連れてくる始末。
すぐに体調を崩して熱を出したが、それでも二時間おきに授乳してオムツ換えして沐浴着替え・・・
実家近くに産科の病院がないため里帰り出産はやめていたのだが、流石に実家の母に助けを求めて1カ月ほど里帰りとなった。
搾取用の子供
義実家における夫のポジションは、所謂「搾取用の子供」であり、病弱な弟は「愛玩用の子供」として家族の中心だった。
夫は若いのに紹介料目的で貯蓄型生命保険に加入させられていた。
数年おきに貯蓄分が払い戻しされるのだが、それを受け取るのは本人ではなく義両親である。
夫ほぼ放置状態で育ち、搾取と面倒事の用事以外は透明人間という扱いだったようだ。
本人には全く自覚がなかったし、たぶん薄々気づいていても認めたくなかったのだろう。
実は出産後の退院時に起こった金銭トタブルもこれでゴタゴタした。
怒った私は件の大型生命保険を解約させた上、怪我入院に特化した共済に加入。
ついでに見栄で会費を払っているだけで全く使っていないスポーツジムの解約などなど家計の見直しにも取り組んだ。
だが、夫はなぜか自分の手柄と勘違いした上、趣味に使える金額が増えたことにヒャッハーしてしまい、家計は苦しいままだった。
要は経済DVであるが、当時はモラハラの概念が少しばかり出始めた程度の認識で、これで「有責配偶者」として田舎の調停で認められるものか、期待はできなかった。
私は彼を搾取から解放したつもりだったのだが、特に感謝もなく、仕事以外は何もしていないのに、なぜか自分の手柄にしてしまえるのである。
学歴コンプレックスの夫を、商工会主催の起業セミナーに申し込んで放り込み、異業種交流会で自信をつけさせる方針はうまく行ったが、それも自分の手柄。
褒められる要因となるレポートや事業計画書を書いていたのは、私だったのだが、やってもらえるのが当たり前とあぐらをかいてしまっていた。
本業の企画書も、イベント告知のフライヤーも!と要求はエスカレートして行った。
彼の境遇に同情し、解決策を示した所までは良かったのだが、慢心させ甘やかし過ぎたのが、私の過失だった。
私に感謝も感心もなく、「自分の代わりに搾取されてくれる人」扱いなのも腹立たしいが、それに息子も含まれ巻き込まれるのがどうしても許せなかった。
夫婦と赤ん坊、来客に出す料理や菓子類まで含めて食費1万5千円に収めろという要求に、1円単位までイライラし続けることになった。
育児どころか生物の面倒を見ることに向いてない人で、「ちょっと息子見ておいて」と頼むと『本当に見てるだけ』で、「おーい、泣いてるよー」と他人事のように何もしないのだ。
愛されないひとは愛し方を知らないと言うが、ここまで酷いとは思わなかった。接客業のため平日休みの夫だが、ちょっと赤ん坊を預けて用事に出かける事も出来ない。
息子の首が据わるまで歯医者にも行けない有様で、時間がかかる美容院なんてとても行けない。髪は伸ばしっぱなしになっていた。
診断書があったので保育園の入所資格はあるものの、待機児童でいっぱいでいつになったら子供を預けられるのか解らない。
夫がする家事育児というのは、外から見える事だけだった。出がけにゴミを出すことと、子連れで三件隣のドラッグストアにお遣いに行くこと。
「奥様を手伝っていい旦那さまですね、いいパパでよかったねぇ僕~。」
現代では当たり前すぎて褒められるか謎な、家事育児してます風のパフォーマンスだけはしっかりやるのだ。
子煩悩で良き夫という評価が出回って、誰にも評価されず赤ん坊と二人きりで過ごす私は、周囲に愚痴をこぼすこともできず追い詰められていった。
モラハラという言葉がチラついたが、まだ判例が少なく田舎の裁判員には期待できない。
ずっと赤ん坊と二人きりでまともに会話をしない日が続き、よく事件にならなかったものだと今でこそ思う。
共倒れになる前に逃げよう、まだ身体が動かせる間に。
夫は仕事の愚痴しか話さない上に、客を連れてきて料理を出させたり、社内イベントのフライヤーや、起業セミナーに必要な企画書や事業計画書を手伝わせるのが当たり前になって行った。
ウチの奥さんは寝てばかりで何もしないと言いながら、しっかりとアイロンの折り目が付いた制服を着て出社した。
気が向いた時だけ息子を連れて褒められに出かけ、オムツ換えすらしなかった。
私は何カ月も人間らしい会話も、まとまった睡眠もとっていない。
疲れが溜まって、つい寝てしまったことがある。
夫の言うことには、伝い歩きの息子がテーブルの上の柿をかじったり、ハチミツの容器を開けて飲んでいたとのことである。
「僕は金を払ってるのに、幼い息子を飢えさせるようなことを」
空腹の息子にミルクも離乳食も与えず、食品にイタズラしているのを止めもせずただ見ていてこの言い草だ。
私の体重は、授乳と疲労と貧乏で拒食症スレスレの域だったがそんなことは見えない。
このまま密室育児を続けていては絶対に事件になる、と心療内科に助けを求めたが夫が付き添ったことは一度もない。
逃げよう。このままみすみす見殺しにされてなるものか、と思った。
自分勝手な都合以外は全く見えず、受け付けない頭脳の彼は、夫にも父親にもなれないのだ。
このままでは、いずれ息子と私も飢えと疲労で共倒れになる。見殺しにされる。
息子を抱いて自力移動できるうちに逃げるしかない、と思った。
この夫には別居してからも迷惑をかけ続けられるのだが、6年後離婚調停で別れることとなる。
ド底辺人生を自ら選んでしまった瞬間だったが、二人分の命には代えられない。
この時には他の選択肢は無かった。